
FXスクールを運営していると、「自分を責めないこと」はできても、「自分のクセを観察すること」が苦手な人は少なくない。
負けると相場のせいにしたくなる。
うまくいかないと手法のせいにしたくなる。
新しい教材を探したくなる。
しかし、本当に変化していく人は、自分の判断のクセを少しずつ見つめていく。
なぜ飛び乗ったのか。
なぜ損切りを遅らせたのか。
なぜルールを守れなかったのか。
そこにあるのは自己否定ではない。
あるのは、「自己認識」である。
前回のスクールブログでは、「『あなたはあなたのままでいい』で終わってはいけない理由」というテーマで、自己肯定感と自己認識の違いについて書いた。
自己肯定感とは、「今の自分を認めること」である。
一方、自己認識とは、「今の自分を知ること」である。
自分を受け入れることと、自分を知ることは似ているようでいて、実は少し違う。
では、なぜ今の社会では、「自己肯定感」がこれほど重視されるようになったのだろうか。
なぜ、同じ言葉なのに受け止め方が違うのか

そのことを考えるきっかけになったのが、高市首相のある発言であった。
就任演説で、高市首相はこう語った。
「働いて働いて働いてまいります」
この発言をきっかけに、SNSではさまざまな反応が広がった。
「国民にもっと働けと言っているのか」
「時代錯誤ではないか」
そんな批判の声も少なくなかった。
しかし、私の第一印象は少し違っていた。
もちろん、政治家としての表現としては荒っぽく感じる人もいるだろう。
世界的に労働生産性や働き方改革が重視される時代の空気と合わないと感じる人もいるかもしれない。
その一方で、私はこうも受け取った。
これは、政治や経済の難局に向き合おうとする高市首相自身の覚悟の表れなのではないか、と。
「馬車馬のように働く」という言葉は、国民への命令ではなく、自分自身や閣僚たちへの決意表明だったのかもしれない。
もちろん、どちらの受け止め方が正しいと簡単に言える話ではない。
ただ、この発言をめぐる反応を見ていて、一つ気になったことがあった。
なぜ、同じ言葉なのに、ここまで受け止め方が分かれるのだろうか。
私たちは「自分のフィルター」で世界を見ている

人は誰もが、自分なりの視点を持っている。
育った環境。
仕事での経験。
過去の成功や失敗。
家庭の事情。
そのすべてが、その人なりの「自分のフィルター」をつくっている。
だからこそ、同じ出来事でも受け止め方は違う。
しかし最近、そのフィルターは少しずつ厚くなっているのではないか、と感じることがある。
たとえば、スクールの受講生であるホワイトニング専門の歯科医は、こんな話をしてくれた。
「最近は、親御さん自身もとても余裕がなくなっているように感じます。『子どものため』と言いながら、実は自分自身も強いプレッシャーの中にいる方が増えている印象があります」
SNSで他の親と比べて落ち込む。
「いい親」であろうとして無理をする。
子どもの結果を、自分自身の価値と結びつけてしまう。
もちろん、これは一部の事例であり、世代全体を語ることはできない。
しかし、「自分がどう見られるか」「自分はどう評価されるか」を強く意識せざるを得ない時代の空気があるようにも思える。
「わたし」が重視される時代

組織心理学者ターシャ・ユーリックは、著書『INSIGHT』の中で、アメリカでは「わたし」に関する検索が増えていることを紹介している。
そこで日本でもグーグルトレンドを使い、
「私らしさ」
「私とは」
「わたしとは」
「私時間」
「自己肯定感」
「内省」
といった言葉の検索状況を調べてみた。
すると、「自分探し」を除けば、2016年前後から、「わたし」に関連する言葉への関心は全体として高まっているように見えた。

2023年から急上昇している。
もちろん、グーグルトレンドだけで社会全体の変化を断定することはできない。
世代や文脈によって意味も異なるだろう。
それでも少なくとも、「自分らしさ」や「自分の感じ方」を大切にしようとする空気は、以前より強まっている可能性がある。
そして、そのような時代だからこそ、「自己肯定感」が求められるようになったのかもしれない。
疲れた自分を責めないこと。
今の自分を認めること。
「あなたはあなたのままでいい」と言ってもらうこと。
それらは、厳しい競争社会を生きる私たちにとって、必要な処方箋でもある。
自己肯定感の、その先へ

しかし、前回の記事でも書いたように、それだけでは変われないこともある。
自己肯定感は、「今の自分を認める力」である。
一方で、自己認識は、「今の自分を知る力」である。
自分は、どんな時に焦るのか。
どんな時に都合よく解釈するのか。
どんな場面で他人の言葉を、自分への攻撃として受け取ってしまうのか。
どんな時に、「自分は悪くない」と考えたくなるのか。
これらに気づくことは、決して自己否定ではない。
むしろ、自分をより深く理解する営みである。
「わたし」を大切にする時代だからこそ、「わたしを知ること」が必要なのではないだろうか?
FXは、自分自身を知るための実践の場でもある。
「わたし」を大切にすること。
そして、「わたし」を知ろうとすること。
その両方があってこそ、人は少しずつ成長していけるのではないだろうか。
高市首相の発言をめぐる議論を見ながら、そんなことを考えた。
私たちは今日も、それぞれのフィルターを通して世界を見ている。
だからこそ、ときには「私は、なぜそう受け取ったのだろう」と、自分自身に問いを向けてみる。
その問いこそが、自己認識の始まりなのかもしれない。
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